中村玉緒さんと、今は亡き勝新太郎さんは、仲のいい夫婦として有名です。
役者同士のお二人には、どの様な馴れ初めがあったのでしょうか。
女優だけでなくバラエティでも独特のキャラクターで活躍している中村玉緒さんと、公私共に破天荒な勝新太郎さんの夫婦。
激ヤバすぎるエピソードもいくつも出てきました。
どの様なものがあったのかご紹介していきます。
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中村玉緒と勝新太郎の馴れ初め!
中村玉緒さんと勝新太郎さんは、お互いに相当惹かれ合った上での結婚だったといいます。
その馴れ初めはどの様なものだったのか気になりますよね。
ここでは、結婚に至るまでのお二人と、新婚時代についてみていく事にしましょう。
中村玉緒と勝新太郎の馴れ初め!
中村玉緒さんと勝新太郎さんは、大映の同期でした。
中村玉緒さんは当時15歳。
勝新太郎さんは既に売り出し中の白塗りの美男スターだったといいます。
勝新太郎との波乱万丈過ぎた結婚生活を聞かれた際、
「私、面食いなんですよ~」と答えた中村玉緒の大物感。 pic.twitter.com/rdzTu2vc6E— 黒子@MICA (@965_kuroco) February 2, 2019
本当に時代を越えてカッコいいと思える俳優さんですよね。
そのため、中村玉緒さんは、
「私なんか全然相手にされとらんって思っとりました」
と当時を振り返っています。
その後、1955年に映画『かんかん虫は唄う』で初共演。
中村玉緒さんは、本気で勝新太郎さんに惹かれたそうですが、どちらかというとその時もまだファンに近い心理だったそうです。
1960年、再び映画『不知火検校』で、二人は共演したのですが、今度は勝新太郎さんが中村玉緒さんに惹かれたのだとか。
こんな馴れ初めがあったなんて、運命の二人だったのですね。
それから勝新太郎さんのアプローチがあって、交際に発展したのだそうです。
交際中は、他人が入り込む余地がない程の熱愛ぶり。
勝新太郎さんが、中村玉緒さんの撮影現場に迎えに来ると、中村玉緒さんは、
「勝さんが来ているから・・・」
と、撮影を早めに切り上げる事もあったのだとか。
ちょっと羨ましい関係ですよね。
中村玉緒さんと勝新太郎さんは、1年の交際期間を経て1961年にめでたく結婚をしました。
仕事では豪快でしたが、女性に対してはシャイな面がある勝新太郎さん。
気になるプロポーズは、何とマネージャーに頼んだのだといいます。
「本人の口からではなく、マネジャーから『結婚してください』と言われたんです。
とにかくシャイな人でした」
と、玉緒さんも複雑そうに振り返っていたそうです。
しかしながら素行が悪い部分があった勝新太郎さんとの結婚には、中村玉緒さんの父・中村雁治郎さんなど、周囲が猛反対したといいます。
中村玉緒さんはそれでも勝新太郎さんとの結婚を強く望んでいたため、周囲もやむなくこれを認めたのだとか。
中村玉緒さん22歳。
勝新太郎さん30歳の時でした。
周囲の反対を押し切る、まさに大恋愛で、映画にも出来そうな馴れ初めだったのですね。
中村玉緒と勝新太郎の新婚時代
中村玉緒さんと勝新太郎さんの挙式は東京の帝国ホテルで行われたそうです。
女性自身 昭和37年3月19日号『ある花嫁の父』/「3月7日、あるカップルが華やかな結婚式を挙げた。…勝新太郎、中村玉緒。その喜びの陰で、秘かに感情を押しかくしている人-。花嫁の父。嫁ぎゆく娘をいとおしげに見まもる中村鴈治郎の顔には、嬉しさと寂しさが複雑にまじり合っていた」(記事本文より) pic.twitter.com/KEkkoMpbQh
— 島倉千代菊 (@wataridori333) October 26, 2019
本当に美男美女のお二人で、白黒写真だけでも華やかな様子が分かりますよね!
新婚旅行は2泊3日の箱根旅行でした。
しかも、勝新太郎の兄・若山富三郎さんがついてきて、新婚旅行なのに三人での旅行だったという噂もあります。
泊まったのは、箱根の由緒ある富士屋ホテルでした。
しかし、新婚初夜、勝新太郎さんは中村玉緒さんと二人きりになると、どうも落ちつかない様子で
「玉緒、ちょっと来い」
と、中村玉緒さんを呼び、『チンチロ』というゲームを教え始めたというのですから驚きです。
新婚初夜だというのに、勝新太郎さんと中村玉緒さんは一晩中、サイコロを振っていたそうです。
その後も新婚らしい事はほとんどなく、夜には自宅に大勢の人を連れて帰ってきて麻雀を始める事が良くあったといいます。
仲間を大事にする勝新太郎さんは尊敬できますが、中村玉緒さんは連日のおもてなしに苦労していたのだといいます。
確かにそれでは新婚なのに気が休まらないですよね・・・。
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中村玉緒と勝新太郎の夫婦エピソードが激ヤバすぎる!!
反対を押し切る大恋愛で結婚した、中村玉緒さんと勝新太郎さんですが、結婚後も激ヤバすぎるエピソードがたくさんありました。
波乱万丈の夫婦生エピソードをみていく事にしましょう。
中村玉緒と勝新太郎の夫婦エピソードが激ヤバすぎる!!
「勝プロダクション」設立
中村玉緒さんと勝新太郎さんはお二人は結婚後、1962年には女の子が、その2年後には男の子が誕生します。
中村玉緒さんは、家庭を優先して仕事の方はセーブし、勝新太郎さんは1967年に「勝プロダクション」を立ち上げ、自ら映画製作に乗り出しました。
しばらくは順調に経営をしていたのですが、完璧主義の勝新太郎さんの性格からか、製作に湯水のごとくお金をつぎ込んだり、撮影の後は大勢のスタッフを連れて飲んだりと、借金がどんどん膨らんでいったといいます。
いくら気前が良くてスタッフが喜んでも、歯止めがきかなくなってしまっては経営は成り立たないですよね。
結局1981年に負債額約12億円で倒産をしてしまいました。
中村玉緒さんは、
「映画に打ち込み失敗しただけで私を裏切ったわけやない」
と、離婚などは考えなかったといいます。
勝新太郎アヘン所持
1978年には、勝新太郎さんのマネージャーと弟子で俳優の酒井修がアヘン所持で逮捕されました。
勝新太郎さんは、アヘン26g(当時の末端価格で260万円)と吸煙器を処分するよう彼らに頼んだ頼んだ疑いで書類送検されたのです。
その時勝新太郎さんは、
「イランの貴族から贈られ、社長室に置いていたが、芸能人の大麻事件が相次いだので処分を依頼しただけ・・・」
と言い訳をしたのだそう。
後に不起訴となりましたが、本人は全く悪びれた所がなく、終始堂々としていたのだとか。
違法な事には違いありませんが、勝新太郎さんらしいですよね。
勝新太郎ハワイで現行犯逮捕
1990年には、再び勝新太郎さんがハワイで、コカインとマリファナを所持していたとして現行犯逮捕されました。
#あのときSNSがあったらどれだけ荒れたのか総選挙
勝新太郎「なぜパンツの中に入っていたのかわからない。今後同様の事件を起こさないよう、もうパンツははかないことにする」 pic.twitter.com/XGjuG3LFxk— じぇれ@映画垢 (@kasa919JI) August 5, 2018
中村玉緒さんは当時出演が決まっていたビール会社のCMが中止となり、損害賠償を請求されてしまいました。
勝新太郎さんは、持っていたコカインとマリファナは、機内のトイレの入口で紳士然とした男から
「勝さんのファンです。
座頭市見てます。
いい旅をしてください」
と渡されたものだったと主張。
そのままトイレに入って、中を見ると
「これはマズいと思って、そのまま(パンツに)入れちゃった」
と弁明していました。
また、ご存知の人も多いかと思いますが、あの有名な迷言が、その後の記者会見で飛び出したのです。
「なぜ、パンツの中に入っていたかわからない。
今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする。」
これでは反省している様子は感じられないですよね。
色々な意味で記憶に残る記者会見となりました。
夫婦喧嘩
中村玉緒さんと勝新太郎さんには、夫婦喧嘩のエピソードもありました。
お二人は晩年、東京タワーが見えるマンションに暮らしていました。
きっと高級な所なんでしょうね!
勝新太郎さんは夫婦喧嘩で収拾がつかなくなると、自宅の窓の外を指さして、
「東京タワーが見てる」
と言いながら中村玉緒さんのご機嫌をとっていたのだといいます。
勝新太郎さんがそんな事を言うなんて、何だか意外ですよね。
こうして幾度となく発生した夫婦喧嘩を収束させていたのだといいます。
こうして見てくると、本当にヤバいエピソードが絶えなかった事が分かりますよね。
勝新太郎の下咽頭癌発症
勝新太郎さんは、1996年7月に下咽頭癌を発症してしまいます。
本人の希望により手術はせず、抗癌剤と放射線治療を行い、その年の11月に公表しました。
「医者にタバコを止められた」
勝新太郎さんは、会見でこう話していましたが、その最中にも関わらずタバコを吸い始めたのに、周囲は唖然としていました。
没後20年ということで制作された勝新太郎のドキュメンタリーを録画して見た。咽頭ガンになってしまったから開いた記者会見でタバコ吸う勝新太郎、なんというサービス精神。サイコーだわ。 pic.twitter.com/1CAIc5EU29
— ケN (@torakoken) July 10, 2017
この光景は有名なので記憶ある人も多いのではないでしょうか。
生死の淵を彷徨っていながら、ユーモアを忘れない姿は勝新太郎さんらしいですよね。
この会見から7ヵ月後にこの世を去るなんて、誰も想像つかなかったでしょう。
晩年は、病室でバラエティ番組に出演する中村玉緒さんを、テレビで見ることが唯一の楽しみだったとの事。
「生まれ変わってもあの人と一緒になりたい」
「世間は私たちが勝を我慢していたように思っていますが、本当は勝が私たちを我慢していました。」
これは1997年に勝新太郎さんが亡くなられた時の中村玉緒さんの言葉です。
破天荒な勝新太郎さんを支えるのには苦労もあったと思いますが、お互いの事を想い合う気持ちは、周りが考えるよりも深いものがあったのでしょう。
本当に素敵なご夫婦だと思います。
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まとめ
本当に映画になりそうなエピソードばかりの、中村玉緒さんと勝新太郎さん。
普通の女性なら、勝新太郎さんの破天荒ぶりについて行く事が出来なくなってしまいそうですが、中村玉緒さんとの間には強い絆がありました。
そのお互いを尊重し合う関係は、正に理想の夫婦。
特に、勝新太郎さんが亡くなられた時の中村玉緒さんの言葉は、グッとくるものがありました。
これからも長く語り継がれる夫婦となる事でしょう。
参考サイト
Wikipedia
テレビ朝日公式HP
デイリー新潮
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