デヴィ夫人の子供の頃が悲惨!生い立ちが壮絶すぎて驚愕マジか!?

元インネシア大統領の妻であり、タレント・実業家としても有名なデヴィ夫人

華々しい人生を歩んできたと思っていましたが、子供の頃は悲惨でとても苦労をされてきました。

その生い立ちも壮絶で、ただの成り上がりの人生では無いこともわかりました。

今回はそんなデヴィ夫人にの幼少期に注目して、どのような体験をされてきたのか調べてみました。



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デヴィ夫人の子供の頃が悲惨!

 

今やセレブな毒舌キャラとしてテレビで活躍し続けているデヴィ夫人ですが、子供の頃も裕福な生活をされていたのでしょうか?

イメージ的には今と同じく良い暮らしぶりをしてきたと思ってしまいます。

デヴィ夫人はどのような子供の頃を過ごされ、どのような環境で育ってきたのでしょう?

悲惨な経験

 

デヴィ夫人の子供の頃は、戦争と貧困に苦しまれた時代でした

太平洋戦争中の空襲により当時住んでいた町がほぼ焼けてしまい、母と弟の3人で母親の故郷である福島県浪江町に疎開されたことがあります。

その後東京の麻布に戻りましたが、家には元々多額の借金がありとても貧しい生活を送っていました。

食材などは線路脇や青山霊園などの野草を採って、お雑炊の具やおひたしにしてました。

今のセレブなデヴィ夫人の暮らしからは想像できない光景ですね。

デヴィ夫人は当時の事を「働かざる者食うべからず」の精神で乗り切っていたと語っています。

 

面白いエピソードとしては、家に迷い込んだハトが夜になったら照り焼きになって出てきた事ですね!

ハトもまさか自分が食べられるなんて思わなかったでしょうね。

家庭のためにデヴィ夫人はその他にも、着物を縫ったり、薪を割ったりと内職を淡々と行っていました。

 

父親は大工の棟梁として働いていましたが、なぜかお金のない人達にばかり家を作っていて、その結果儲けにならず家庭は貧困状態になりました。

なぜお金のない人達ばかりに家を建てていたのか、デヴィ夫人は
お金を儲けようとしなかった」、「義侠心の強いかたでしたから」と当時を振り返り語っています。

裕福な人向けの仕事を取ろうと思えば取れたのに、戦争などで貧困になった人達のためだけに仕事を受けていた事は、本当にすごいと思いますね!

デヴィ夫人は、日本テレビ系「幸せ!ボンビーガール」にゲストで出られた際に
「貧乏っていうのは神様のギフト。そこから、いろんなものが生まれてくるから」だと語っています。

 

貧困時代を前向きにとらえる姿勢はとても勉強になりました!

その時代を経験されているからこそ、今のデヴィ夫人があるのだなと思いましたね。

どんな子供だった?

 

デヴィ夫人と言えば、日本テレビ系「世界の果てまでイッテQ」などのバラエティ番組での活躍がすごいですが、子供の頃も活発な子でした。

 

 

子供の頃は近所の友達と近くにある青山霊園で「ままごと」などをされていました。

有名人のお墓が多い青山霊園で遊ぶことなど、今の時代だったら絶対無理だなと思いましたね。

 

デヴィ夫人は絵を書くことも好きで、自作の紙芝居を作って友達に見せていたこともあります。

絵の才能はあり、当時の全国児童絵画展で文部大臣賞を受章された経歴があることもわかっています。

テレビで芸術品をよく批評されている姿を見てきましたが、芸術的な才能があっての事だとわかりました。

自作の紙芝居を友達に見せる行為などは活発なデヴィ夫人ならではですね。

デヴィ夫人が描かれた絵がどのくらい上手かったのか、どんな紙芝居だったのか見てみたいと思いました。



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デヴィ夫人の生い立ちが壮絶すぎて驚愕マジか!?

 

デヴィ夫人は悲惨な経験の他にも壮絶な生い立ちがあることもわかりました。

デヴィ夫人が22歳になるまでには家族全員亡くなられてしまっています。

デヴィ夫人の日本名や生まれた場所、なぜ家族全員が亡くなってしまったのか書いていこうと思います。

デヴィ夫人の生い立ち

 

デヴィ夫人は1940年(昭和15年)2月6日、東京府東京市麻布区霞町(港区西麻布)生まれで、本名(日本名)は根本七保子さんといいます。

デヴィ夫人の父親には前妻との間に6人子供がいて、7番目の子だから「七保子」と名付けられました。

ちなみにデヴィ夫人の弟は8番目なので八曾男さんと言います。

父親の根本兵七郎さんは麻布区霞町界隈の大工の棟梁で、貧しい人に食べものを分け与えるような優しい人でした。

母親の根本政子さんの若い頃は村中の話題になるほどの美人として有名でした。

デヴィ夫人の両親のお写真を拝見しましたが、どちらも美形でデヴィ夫人が美人な理由も頷けましたね。

デヴィ夫人が15歳の時に父親の病気の影響で家計が回らなくなった為、高校を中退して千代田生命保険(現在ジブラルタ生命保険)に就職します。

その後も喫茶店のアルバイトや高級クラブで働くことになる程、お金には苦労された人生を歩まれました。

 

 

最初は麻布生まれと聞いて、「やっぱり最初からお金持ちだったんだ」と思っていましたが、全く違うことがわかり驚きました。

お金に苦労された分、今の裕福な状態に回っているのかもしれませんね。

家族が次々と亡くなる

 

定時制高校に行きながら生命保険会社と喫茶店で働いていたデヴィ夫人ですが、16歳の時に大工として一家を支えてきた、父親である根本兵七郎さんが病気で亡くなりました。

ただでさえ貧困な上に父親まで失ってしまい、弟の根本八曾男さんも受験を控えている事もあって家庭が火の車であったことは言うまでもありません。

今の生活では家庭が回らないと思ったデヴィ夫人は高校や会社を辞めて、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働くことになります。

子供の時から家族思いで責任感が強い人だったことがわかり改めてすごい人だと思いましたね。

その後クラブで成功して、弟さんが大学に進学できるほどお金を稼ぎ続けました。

しかし大学に進学した弟さんは、悪徳セールスマンに全財産を奪われるということが発生して、またも金銭で悩まされることになります。

デヴィ夫人がインドネシアのスカルノ大統領にスカウトされ、結婚したことが日本で取り上げられると実家にマスコミが押し寄せてきました。

マスコミの過剰な圧力により、元々体の弱かった母親が亡くなってしまいます。

そして2日後には弟の根本八曾男さんが借金と母親の影響により自ら命を絶ってしまいます。

 

 

家族のために子供の頃から働き努力してきたのに、一番大事な家族を22歳までに全員失ってしまいました。

デヴィ夫人がこれほど壮絶な生い立ちがあることは知らなかったので驚きましたね。

今は娘さんやお孫さんと幸せな時間を過ごされている姿をよく見るので、これから更に幸せになる事を願っています。



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まとめ

 

デヴィ夫人の知られざる子供の頃の苦労や生い立ちがわかり、意外なことが多くて驚きました。

「偉そうに話す面白いセレブ」だと思っていたので、金銭面でこんなに苦労されていることは知りませんでしたね。

また家庭のために一生懸命働いてこられた責任感も、素晴らしいと思いました。

デヴィ夫人のご両親も人間的に素晴らしい方で、もう少し幸せな時を一緒にすごして欲しかったと思いましたね。

出川哲朗さんとの番組はとても面白くて、仲の良いトークを見るのがいつも楽しみです。

デヴィ夫人にはこれからもテレビで活躍を期待し、ご家族と幸せにすごして頂きたいですね!

 

参考

Wikipedia

ライブドアニュース

エキサイトニュース

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