チェッカーズ解散理由と真相!脱退・メンバー確執・クロベエ葬儀疑惑など真実はナニ!?

80年代を中心に絶大な人気を誇ったグループ、チェッカーズ

現在は解散してしまっているのですが、その理由や真相について詳しく知っている方はあまりいないのではないでしょうか。

今回はチェッカーズの解散理由とその真相についてまとめてみました。

また、メンバーの脱退確執、「クロベエ」ことドラムスの徳永善也さんのお別れ会での出来事など、噂されている事の真実について調べてみました。



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チェッカーズ解散理由と真相!

 

チェッカーズは1992年に沢山のファン達に惜しまれつつも解散しています。

もっとその活躍を見たかったファンも多い事と思いますが、その解散に至った理由はどの様なものがあるのでしょうか。

また、そんなチェッカーズの結成当時のエピソードについてもまとめてみました。

 

チェッカーズ解散理由と真相一覧!

 

では早速、チェッカーズの解散理由とそれらの真相についてみていきましょう。

ソロ活動が本格化

1987年5月2日に、全曲メンバーオリジナルのアルバム『GO』が発売されました。

ちょうどこの頃、チェッカーズのメンバーがソロ活動を始めるようになりました。

その突破口は、メンバーで藤井フミヤさんの弟・尚之さんのソロデビューでした。

その時発売されたアルバム曲『NATURALLY』は、西村知美さんが出演したライオンの洗顔料のCMに起用されるなど、ヒットし、オリコン週間2位にも輝いています。

それに続くように、鶴久政治さん、高杢禎彦さんもソロでの活動を始めたのです。

それまでチェッカーズの楽曲は与えられた曲で構成されていました。

しかしながら、このソロ活動本格化によって、メンバーの中に独立心や創作意欲が高まってきたようです。

この流れで同時期に藤井フミヤさんも、初のソロシングル『Mother’s Touch』をリリースしますが、「チェッカーズ在籍中はソロ活動(ライブ、音楽番組での歌唱)をしない」という約束があり、ソロ活動はしていなかったといいます。

グループとしては前向きな変化の様にも思えますが、これによってチェッカーズの解散へと駒が進んで行ったようにも捉えられています。

結婚ラッシュ

1990年頃からのメンバーの相次ぐ結婚も、チェッカーズの解散に寄与したと言われています。

  • 1990年6月  藤井フミヤさん結婚
  • 1990年12月  高杢禎彦さん結婚
  • 1991年     藤井フミヤさん、高杢禎彦さんに第一子が誕生
  • ~1992年  武内享さん、鶴久政治さんが結婚
  • 1992年12月31日 チェッカーズ解散

1990年6月に藤井フミヤさんが結婚。

中学の同級生と長い付き合いが実ってのものだったようですが、世の中に衝撃を与えました。

今でいう、「フミヤロス」といったところでしょうか。

メンバーの中でも最も人気があったと言われる藤井フミヤさんの結婚には、それを聞いて何も手につかなくなってしまったという女性ファンが沢山いた事でしょう。

同年12月には高杢禎彦さんが、婚約者と間に子どもを授かった事を機に結婚。

翌年にはお二人に第一子が誕生した事もあり、もしかしたら単独での行動が増えていたのかも知れません。

1992年10月9日の「ミュージックステーション」内で、正式に解散を発表し、その年の第43回NHK紅白歌合戦出場を最後に解散したわけですが、それまでに武内享さん、鶴久政治さんを含む4名が既婚者となっています。

この事がチェッカーズ解散に拍車をかけたと言われているのです。

他のグループの人気急上昇

チェッカーズが解散した1992年のヒット曲ランキング上位には、B’zやサザンオールスターズ、CHAGE&ASKAなどが占め、一時期ほどの勢いは無くなってしまっていました。

ちょうどチェッカーズが解散した年のNHK紅白歌合戦にはSMAPが2度目の出場を果たしています。

SMAPの人気が出始めていた事もあり、ビジュアルでも勝負が出来るグループとしては一種の世代交代的な時期でもあったのかも知れませんね。

 

様々な噂があり、その真相は明らかにされていませんが、様々な理由が重なっての解散となったようです。

 

チェッカーズ結成の秘話

 

チェッカーズは、藤井フミヤさんと武内亨さんにより、福岡県久留米市にて結成されました。

チェッカーズのメンバー

・ボーカル 藤井フミヤ

・リーダー兼ギター 武内亨

・サイドボーカル他 高杢禎彦

・サイドボーカル他 鶴久政治

・ベース兼サブリーダー 大土井裕二

・ドラムス 徳永善也

・サックス他 藤井尚之(藤井フミヤさんの弟)

チェッカーズ結成以前は、藤井フミヤさんは「カルコーク」というバンドを、武内亨さんは「シェイク」というバンドで活動しており、当時の久留米市で行われていたダンスパーティーで人気を二分していたのだといいます。

1980年に「シェイク」が解散、同じ頃「カルコーク」も先輩の卒業と同時に解散が決まっていました。

藤井フミヤさんは新しいバンドでの活動が予定されていましたがなかなか進まず、

「久留米で一番のバンドを作る」

と武内亨さんが結成したチェッカーズに入る事となったのです。

当時の久留米市二大バンドのメンバーで結成されたので、地元ではすぐに有名になったと思いますが、後に「久留米で一番」どころか全国区になったのは想像を超えるものだったのでしょう。

その後5人のメンバーを加え、7人のチェッカーズとしてデビューしました。

デビュー曲は1983年の『ギザギザハートの子守唄』

メンバーの不良っぽい雰囲気と、それまでにはなかった曲調に一気に注目が集まりました。

その翌年にリリースされた『涙のリクエスト』は、大ヒットした事で有名ですよね!

https://twitter.com/Skyhigh_Rainbow/status/464000835802787840?s=20

オリコンの音楽チャートでは、TOP10にチェッカーズの曲が3曲も同時ランクインするなど、その人気はうなぎ登りでした。

なぜか不良っぽい男性ってカッコよく見えた気がしますが、チェッカーズの影響もあったんですね(笑)

チェッカーズのファッションにも注目が集まりました。

メンバーが着ていたチェック柄の衣装は記憶にある人も多いのではないでしょうか。

また、藤井フミヤさんの特徴的な髪型を真似する人も出てきたほどでした。



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チェッカーズ脱退・メンバー確執・クロベエ葬儀疑惑など真実はナニ!?

 

解散の理由についてみてきましたが、もう一つの理由として考えられている事がありました。

それは、脱退の意思表示をしたメンバーの存在やメンバー同士の確執。

どのような確執となっていたのでしょうか。

また、ドラムスのクロベエが亡くなった時のエピソードにも、その確執の影響があったのです。

それらの真実について調べてみました。

 

チェッカーズ脱退・メンバー確執?

 

一世を風靡したチェッカーズだけあって、解散の理由は様々な所で噂されていますが、先程挙げた以外に、藤井フミヤさんと高杢禎彦さんの確執も解散理由の一つと考えられているようです。

事の発端は、藤井フミヤさんが、

「チェッカーズを脱退したい」

と、脱退の意思についてリーダーの武内享さんに相談した事でした。

当時の状況を、高杢禎彦さんは解散後11年経った時に出版した自伝的エッセイ集『チェッカーズ』の中でその確執についても暴露しています。

事細かに暴露したエッセイ集には、当時の金銭問題などにも触れられていて、藤井フミヤさんも怒りをあらわにしていた模様。

金銭問題もあったのですね・・・。

藤井フミヤさんが一方的に解散を決める形になった事で仲たがいとなり、チェッカーズは二つに分かれてしまいます。

 

解散を支持する派

藤井フミヤさん 

武内享さん

大土井裕二さん

藤井尚之さん

解散しない派

高杢禎彦さん

鶴久政治さん

徳永善也さん

結成当初のお二人は解散を支持しており、やはり同じ派閥なんですね!

特に高杢禎彦さんは、

「解散をしたら、誰もメシを食っていけない」

とグループ存続を強く望んでいたといいます。

チェッカーズは険悪な状態のまま解散に至ったとされており、再結成などの明るい話は出てこないと思われます。

 

クロベエ葬儀疑惑など真実はナニ!?

 

解散後、「クロベエ」の愛称で親しまれていた徳永善也さんが舌ガンを患い、2004年8月に他界しています。

入退院を繰り返していたようで、辛い闘病生活があった事と思います。

40歳と言う若さで帰らぬ人となってしまい、ショックを受けたファンも沢山いました。

https://twitter.com/SbfDPOQMTme33vO/status/897977456698601472?s=20

この死去に際し、藤井フミヤさんらは「お別れの会」を提案したのですが、高杢禎彦さんと鶴久政治さんを発起人として参加する事を拒否したのです。

葬儀に関しては不明ですが、この当時二人とは7~8年会う事はなかったようで、「お別れの会」についても連絡を取り合うという事はなかったようです。

相当深い溝が出来てしまっていたのですね。

ファンにとっても少し寂しい結果となってしまいました。



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まとめ

 

不良っぽいキャラクターで人気を博していたチェッカーズですが、解散時にはメンバーが二分する程の仲たがいがありました。

久留米市の地方から頑張って進出してきたグループだけあって、自己主張の強いメンバーが集まっていたのかもしれないですね。

徳永善也さんのお別れ会でもその仲は修復されず、出来てしまった溝の深さを感じざるを得ません。

再結成を楽しみにしているファンの期待に応えてくれる時は来るのでしょうか。

 

参考サイト

Wikipedia

excite.ニュース

サイゾー

オリコン

 

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