明智光秀はなぜ麒麟児?裏切った理由の諸説もわかりやすく!《裏切り者の真相》

戦国時代の武将の一人として有名な明智光秀

今年は特にNHKで放送される大河ドラマ『麒麟がくる』でも取り上げられており、明智光秀の生涯に注目が集まっています。

ドラマのタイトルにもあるように、明智光秀は「麒麟児」と呼ばれていたそうですが、それはなぜなのでしょうか。

また、諸説ありますが明智光秀は織田信長を裏切ったとされています。

なぜ裏切る事になったのか、その真相についても調べてみました。



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明智光秀はなぜ麒麟児?

 

明智光秀は周囲から「麒麟児」と呼ばれていたそうですが、一体なぜ麒麟児なのでしょうか。

「麒麟」とは、現代の動物園にいるキリンとは異なるものだそうです。

どのようなものなのか、調べてみました。

また、その「麒麟児」明智光秀が織田信長を裏切ったとされる「本能寺の変」とはどのような事件であったのかも、合わせて調べてみましたのでご覧ください。

 

明智光秀はなぜ麒麟児?

 

ここで言う「麒麟」というのは、現代の動物園等で見られるキリンとは違い、“霊獣”なのだそうです。

キリンレモンでお馴染みの飲料メーカー『キリン』も、この麒麟の事です。

※ イメージ画像

 

中国では昔から、麒麟は平和な世界に現れる霊獣とされており、平和を願っていた当時の人々は麒麟を崇めていたのだとか。

その麒麟になぞらえて、優れた人物の事も当時は麒麟と呼んでいたのだといいます。

また、麒麟が現れるのは

「仁の心を持つ君主が生まれたとき」

「王が仁のある政治を行うとき」

だと言われていました。

そのため、幼少期から優れた才能があり、将来が有望視されている子どもの事を「麒麟児」というのだそうです。

麒麟は、「王が仁のある政治を行うとき」に現れるとの事ですが、これは織田信長「仁のある政治」すなわち「人を思いやる政治」を行った時の事だとされました。

なぜ「麒麟児」と呼ばれているかというと、この織田信長が政治を牛耳る時代に現れたのが明智光秀だったとする説が伝えられているからなのです。

織田信長といえば「人を思いやる」というよりは少し強引なイメージがあるので、なぜその様な解釈がされているのか不思議でしたが、大河ドラマのタイトル『麒麟がくる』には、そんな深い意味が含まれているんですね。

 

本能寺の変とは?

 

そんな「麒麟児」明智光秀が織田信長を裏切ったとされるのが、「本能寺の変」です。

 

織田信長は天正10年(1582年)3月に、甲斐(現在の山梨県)へ侵攻し、長年の宿敵だった武田信玄を滅ぼしました。

これは「本能寺の変」が起こる3ヶ月前でした。

天下統一に向けての手応えを掴み、意気揚々としていた織田信長。

しかしながら、すぐさま部下の羽柴秀吉に任せていた中国地方で毛利氏の大規模な争いが始まり、織田信長は明智光秀に出陣を命じたのでした。

この時織田信長は、

「自ら出陣し、東西の軍勢がぶつかって合戦を遂げ、西国勢をことごとく討ち果たし、日本全国残るところなく信長の支配下に置く決意である」

と、この争いへの出陣に備えていたのですが、実際に織田信長が連れていたのはわずかな手勢のみで、他の勢力は各地で戦闘中だったといいます。

 

この体制が整っていない隙に、明智光秀は突如反旗を翻し6月2日の早朝、仕えていると思わせていた織田信長の宿所であった本能寺を襲撃したのです。

織田信長は焼け落ちる寺の中で自刃したとされており、この事件は後に「本能寺の変」と呼ばれるようになったのです。

「本能寺の変」は現在でも歴史の授業では必ず扱われ、誰もが知る歴史的なクーデターでありますが、動機が全く解明されていない、謎に包まれた事件です。

信頼をしていた部下に裏切られ、本当に衝撃的な最期でしたよね。



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明智光秀が裏切った理由の諸説もわかりやすく!《裏切り者の真相》

 

「本能寺の変」について見てきましたが、この事件で明智光秀が織田信長を裏切った理由は諸説あるようです。

明智光秀の他に黒幕がいたという説が有力で、未だに謎が多い事件となっています。

どの様な黒幕がいたという説が浮上しているのでしょうか。

有力視されている諸説をピックアップしました。

明智光秀が裏切った理由の諸説もわかりやすく!《裏切り者の真相》

 

「本能寺の変」で明智光秀が織田信長を裏切った理由については諸説あります。

諸説あると言ってもどれも有力な説で、未だに解明がされていません。

明智光秀の行動は大変手際がよく、用意周到に準備されていたと言われています。

そのため、明智光秀の他に黒幕がいたという説が有力視されており、その黒幕によって明智光秀は動かされたとされています。

織田信長を裏切った明智光秀を動かした、黒幕と考えられているのはどの様な人物なのでしょうか。

徳川家康

徳川家康が織田信長暗殺の黒幕であったとする説が上がっています。

徳川家康も当時天下を狙っており、本能寺の変の当日、徳川家康は鉄砲を買い付けるつもりで大金を持っていたのだといいます。

共謀する明智光秀が事件を起こした後、安土から西の地域の大名・商人を支配下に置くために、徳川家康がその大金を用意していたのだとする説が浮上しているのです。 

当時織田信長は南蛮貿易を進めており、その動向は徳川家康が親しくしていた堺の商人達の利益を奪うものでもあったのだとか。

動機はその繋がりからも来ていると考えられています。

羽柴秀吉

羽柴秀吉が黒幕だとする説もありました。

家柄が低かった羽柴秀吉は、戦の実績がありながら織田家の中で最も下に扱われていました。

そのため、これ以上実績を上げても自分が天下を取るのは難しいと考えた羽柴秀吉が、本能寺の変の黒幕となったという説です。

羽柴秀吉は明智光秀と共に山陽・山陰地方の攻略を任されていました。

2人で協力すれば西日本を押さえられると、織田信長暗殺を決行したとも考えられるようです。

仏教勢力

織田信長は石山本願寺比叡山延暦寺等の仏教勢力を弾圧していたため、それについての反感を買っていました。

中でも石山本願寺は、最後まで織田信長に対峙していたものの、織田信長の要請による天皇からの仲介で和睦となり、本拠地の大坂から退去させられていたのです。

このような状況で、織田信長に強い反感を抱いていた本願寺の仏教勢力が、反乱を考えていたとする説も出ています。

当時織田信長がキリスト教を積極的に保護していたという事実から考えても、説得力のある説だと思います。

 

明智光秀が裏切った最も有力な説は?

 

ここまで主要な説を見てきましたが、最も有力となっている黒幕をご紹介します。

朝廷・公家勢力

織田信長は安土城の中に、天皇の住まいである清涼殿を模した御殿を作っていた事が発掘調査によって明らかになっています。

つまり、天皇を安土に迎える構想を抱いていたのだと考えられています。

もし天皇が安土城に暮らす事となったら、朝廷の実権が織田信長に握られる事となり、自分達の地位が危ういのではないかと、公家は危機感を覚え、本能寺の変の黒幕として尽力したという可能性があるという説が最も有力視されているそうです。

 

当時の天皇「正親町(おおぎまち)天皇」の側近である「吉田兼見(かねみ)」「近衛前久(さきひさ)」「勧修寺晴豊(はれとよ)」らを中心に明智光秀を取り込み、織田信長の暗殺を計画したと考えられています。

 

実際には公家たちの思惑とは異なり、天下は羽柴秀吉のものになりました。

しかしながらその時、公家達は、五摂家の者のみ就く事が出来る「関白」の地位を、羽柴秀吉に与えたのです。

この事を、織田信長のような勝手な行動を羽柴秀吉にさせないために、公家勢力が羽柴秀吉を懐柔する策をとったと解釈する、「朝廷・公家黒幕説」は最も有力な説として現代にも伝わっています。

 

どれも真実味のある説ですよね。

このように当事者の立場で思いを巡らせるのも、解明されていない歴史の醍醐味かもしれませんね。



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まとめ

 

「麒麟」とは、平和な世界に現れる霊獣とされており、明智光秀が「麒麟児」と呼ばれるのは、将来を期待されての事でした。

当時の人々はそれほどまでに平和を願って誰かにすがりたい思いだったのでしょう。

そんな明智光秀が、起こしたクーデター「本能寺の変」には未だに謎が多く、織田信長を裏切った理由は諸説ありました。

中でも、公家の勢力が黒幕となったとされる説が有力視されていますが、確信には至っていません。

今年のNHKの大河ドラマ『麒麟が来る』でも取り上げられるわけですが、当時の人々の気持ちに思いを馳せてみるのも楽しみの一つになりそうですね。

 

参考サイト

wikipedia

東洋経済

産経新聞

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